覇気がない

と昔から言われているのだが、ここ2週間ほど自分でもわかるほど覇気がない。
と言うのも、最近この学校のシステムに疑問を感じ始めている。そもそも疑問が生じ始めたのは去年。学校を訪問していたある映画監督が学生時代に長編を作れ、短編なんてこの業界じゃ誰も認めないぞ、などと戯言をのたまった。それから学校内で長編を作ったほうがいいんじゃね?という風潮になってきた。さらにそれに拍車をかけたのがキャノンXL2の大量購入。一年で4台も買った。おかげで学生の間ではビデオなら長編撮れるじゃん、という馬鹿げた考えが蔓延する。結果今年のうちの年のやつらは2年目映画として30分を超える微妙な長さの映画を撮り始める。
俺はこの風潮に断固として反対する。そもそも30分なんて一番良くない長さだ。中途半端すぎる。短編でもなく、長編でもない。映画祭はどこもそんなものは見てくれないのは明白。一番の反対理由は、この学校は長編映画を撮る場所ではない、というわけだ。何故かというと、学生全員がそれぞれの映画を作らないといけないわけで、他人の長編映画を手伝っていたら自分の映画が作れないのだ。例外としては今年のベルリン映画祭にノミネートされたジョシュ、ナイジェリアに莫大な組織力があるヤクブ、そして中国で撮影を考えてるハイタオ。彼らは学校外のクルーを使う予定(だと俺は思っている)なので問題ない。この学校のみで長編映画は作れないのだ。作ったとしても映像のクオリティは間違いなく落ちる。少ないクルーでは限界があるのだ。今回のニコラス君の撮影で明白になった。映像のクオリティを取るか、単なる映画の長さを取るか、それは個人の選択なのだが、俺は個人的にそういうのには関わりたくないのが本音である。15分以内で素晴らしい短編を作れない者に2時間の映画が作れるだろうか?
今後そういった理性を欠いた映画作りには断固反対してゆくつもりである。